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六郷満山というのは・・・以下の説明は豊後高田市および国東の各寺院の説明などを引用し、TANUKIの独断によって再構成したものです・・・間違っていたら、ごめんなさい!
国東半島は宇佐神宮・弥勒寺に伝わった天台宗の実践の場として仏教が栄えた地域で、厳しい地形での修行を好む山岳宗教との融合を経て、独特の六郷満山文化を花開かせてきたとのことです。弥勒寺というのは、神仏習合の考え方の中で宇佐神宮の境内にあった寺院で、明治の神仏分離で廃寺となり、現在、境内に跡地のみ残っています。
六郷満山の起こりは、奈良時代から平安時代前期に「弥勒寺」の僧侶が六郷山(国東半島)に薬師如来を祀ったとされ、初期の六郷満山は薬師如来を祀るための霊場であったと伝えられているそうです。六郷とは、国東半島の6つの郷(来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐)。満山は、それぞれの谷で発展した寺院群で、活動の目的から3つのカテゴリー(「本山」は学問、「中山」は修行、「末山」は布教)に分かれていたようです。本山は六郷満山の中でも古いとされた寺院で、鎌倉時代には8ヵ寺(後山「金剛寺」・吉水山「霊亀寺」・大折山「報恩寺」・鞍懸山「神宮寺」・津波戸山「水月寺」・西叡山「高山寺」・良薬山「智恩寺」・馬城山「伝乗寺」)だったようです。.
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( ふたごじ ) |
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両子寺 参道 仁王像と山門 |
国東半島最大の石像仁王 |
両子寺 書院・客殿 |
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両子寺 護摩堂 |
両子寺境内の紅葉 |
両子寺 奥の院 |
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足曳山 両子寺(ふたごじ) 天台宗 本尊:阿弥陀如来(大講堂)
国東半島の中心にある両子山(ふたごやま)の麓にある古刹です。仁聞菩薩によって開創されたと伝えられる六郷満山を統括する総持院で、修行の中心地だそうです。お寺の入り口に無明橋があり、その先に国東で最大と言われている石造りの金剛力士像(仁王像)が両脇を固める長い石段が山門へと続いています。でも、駐車場は山門の先にありますので・・・・TANUKI
の好きなこの風景を見るためには、車を駐めていったん下に降りてこなければなりません。
ご本尊は大講堂におられる阿弥陀如来さんとのことですが・・・・このお寺に何回か訪れていますが、広い境内を歩き回るのに疲れてしまったり、到着したのがもう夕方だったり・・・・と、境内のお堂をゆっくり訪れていません。いつも、お寺にたどり着いたことだけで、変に満足してしまっています。困ったことです。
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( ふきじ ) |
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富貴寺 仁王門 |
仁王門の仁王像 |
富貴寺 大堂(阿弥陀堂) |
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蓮華山 富貴寺(ふきじ) 天台宗 本尊:阿弥陀如来
富貴寺の入り口も石造りの金剛力士像(仁王像)が門を固めています。国東はとても石仏が多いのですが、仁王さんも本当にたくさん立っておられます。国東のあちこちの仁王さんを写真に撮って歩いたら、それだけでちょっとした写真集ができそうです。
富貴寺と言えば、国宝の大堂(阿弥陀堂)です。大堂は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられているのだそうで、現存する九州最古の木造建築物なんだそうです。
国宝の阿弥陀堂に居られる重文の阿弥陀如来坐像さんですが・・・・お堂の戸が開くのは天気の良い日だけ。湿度の高い雨の日などは開けていただけません。TANUKI
夫婦は何度も富貴寺を訪れていますが・・・・天気が悪かったり、堂内で文化講座のような行事があって入れなかったり・・・・と、ずっと阿弥陀如来さんにお目にかかれませんでした。
2022年9月6日、偶然訪れたのですが・・・・本堂を解体修理中で、阿弥陀堂が特別拝観中とのこと。しかも、もっと幸運なことに・・・・本来、阿弥陀様の脇侍である観音菩薩さんと勢至菩薩さんは、このお寺では、なぜか本堂に居られるのですが・・・・本堂の解体修理に伴い100年ぶりに阿弥陀堂に戻られて、阿弥陀三尊として安置されているとのこと。さらに、この時は他に参拝者もおられず、TANUKI
夫婦だけで静かに、しかもゆっくりと阿弥陀三尊さんにお目にかかることができました。至福のひとときをいただけました。
蛇足ですが・・・・カーナビなどで検索するときは「ふきじ」で! 「ふきでら」とすると京都へ行ってしまいますよ!
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( まきおうどう ) |
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真木大堂 入口 |
旧本堂 |
鐘 楼 |
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富貴寺 仁王門 |
仁王門の仁王 |
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旧 馬城山(まきさん) 伝乗寺(でんじょうじ) 本尊:阿弥陀如来(座像)
若い頃から、何度となく訪れているお堂です。真木大堂は、「馬城山伝乗寺」(まきさんでんじょうじ)の堂宇のひとつだったと伝えられています。伝乗寺は六郷満山の本山本寺8ヶ寺のひとつで、この真木大堂の建つ田染地区に36の寺坊を持ち七堂伽藍を有する最大規模の寺院だったそうですが、約700年前に火災により焼失し、詳細な史料は残されていないようです。
現存しているのは、江戸時代に再建された小規模な旧本堂(大堂)と、昭和40年代に新造された収蔵庫のみです。
真木大堂に収められている国の重要文化財の4件9躯の仏像は、伝乗寺の各堂宇に伝えられたものを各寺坊の衰退に伴って一箇所に集められたものだそうです。
収蔵庫には、阿弥陀如来(坐像)さんや不動明王さん、水牛にまたがる大威徳明王さんなど9体の国指定重要文化財がおられますが、TANUKI が好きなのは大威徳明王さんです。大威徳明王像としては日本最大の大きさと言われています。
でも、昔(?)は、仏像に触れるぐらいの近さで拝観することができたのですが・・・・収蔵庫を改装してからは、ガラス越しに拝観することになってしまいました。
確かに、貴重な仏像を守るためには温度や湿度の管理も必要なので、仕方がないことなのですが・・・・ちょっと残念です!
でもまた、国東に行ったときは、お会いしたい仏像です!
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天念寺・・・道路側にあるけど・・・ |
天念寺講堂と六所権現社 |
堂の中に修正鬼会の松明が・・・ |
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天念寺の背後にそびえる岩山に「岩屋」 |
前の川の中に「川中不動」 |
山の上に「無明橋」 |
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長岩屋山 天念寺(てんねんじ) 天台宗 本堂本尊:釈迦如来 講堂本尊:観音菩薩
天念寺へは・・・・最初、磨崖仏「川中不動」さんに会ってみたくて出かけました。川中不動は、川の中の大きな岩にお不動さんが2人の脇侍(童子)を従えて川を見つめておられました。室町時代に、氾濫を繰り返す川を鎮めてもらうために造られたと伝えられているそうです。不動明王さんですが・・・・何か親しみやすい物静かな感じのお顔でした。
天念寺は、道路沿いに普通の民家のようなたたずまいでした。現在は無住の寺のようで・・・・戸も閉まっていたので、すぐ側の天念寺伝統文化伝習施設「鬼会の里」に行ってみました。ご本尊の木造阿弥陀如来さんはここにおられました。なお、この「鬼会の里」で飲んだコーヒーは絶品でした。とても美味しい湧き水があるそうで、サイクリングなどで訪れる方に提供したら、とても喜んでくれると話してくださいました。
2度目に訪れた時は、お寺の戸が開いていたので、木造の釈迦如来坐像、日光・月光菩薩立像、勢至菩薩立像、吉祥天立像などの仏像にお会いすることができました。木の劣化も結構激しく・・・・TANUKI
には、説明板がなければ釈迦如来さんか菩薩さんかなどの区別がつかないような状態でしたが、いずれも歴史を感じられる・・・・うまく言えませんけど、唐招提寺の宝物館に展示されてる仏像を思わせるような、素晴らしい仏像でした。
なお、2回目に訪れた時には、講堂の中に修正鬼会で使われる松明が置かれていました。ここには、まだ「修正鬼会」が伝えられて、残っているのですね。また、お寺の裏にそびえる山の上に、六郷満山の修行で一番の難所と言われる「無明橋」が見えました。あんな所を渡るんですね・・・・怖いでしょうね(・・・・と、無信心なTANUKI
は思いました・・・・)。
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文殊仙寺 入り口 |
本堂まで300段の石段・・・ |
文殊仙寺 本堂 |
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峨眉山(がびさん) 文殊仙寺(もんじゅせんじ) 天台宗 本尊:文殊菩薩
文殊仙寺は、前から1度は訪れてみたいと思っていたお寺です。でも、宇佐や豊後高田方面からは結構な山の中で、道も悪そうなので行くのをためらっていました。天念寺を訪れたついでにと思ったのですが・・・・予想通り、連続つづら折れの山道でした。
駐車場に車を駐めて・・・・延々と続く急な石段を登りお寺へ。山の崖の途中に懸造りの本堂がありました。ただ、ご本尊は秘仏とのことで、お参りをしただけで終わってしまいました・・・・しかし、帰ろうとしてたら、山門の所で「お接待だから・・・・」とお餅とお茶をいただきました。この日は秋の大祭とか。お寺は地元の方々が支えておられるのですね。お茶を沸かしておられた鉄の茶釜が歴史を感じさせる物でしたので、思わず聞いてみたら江戸時代の物だとか。お接待をしておられたリーダー格の方が「どこから来たの?」と声をかけてくださり、いろいろ話していたら、「ついておいで、案内してあげる」と親切に、樹齢1,000年のケヤキや「ここから山口県が見える」と海の見える鐘撞堂まで案内してくださり・・・・そして、江戸時代から伝わるという鐘とご近所の方々が寄進されたという大鐘をつかせてくださいました。文殊菩薩さんにはお目にかかれませんでしたけど、すばらしい出会いをいただきました。
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胎蔵寺の側を登ります |
自然石の階段 |
不動明王像 |
大日如来像 |
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とても久しぶりに熊野磨崖仏を訪れました・・・・あれっ?って思ったこと。〈その1〉拝観料が必要?・・・・前に来た時は、払ったっけ?〈その2〉参道がとてもきれいになってる。道も広くて歩きやすい!〈その3〉最後の登り・・・・鬼が造ったって伝説のある自然石の階段。きつい!・・・・こんなに急で、息が切れる思いをしたっけ?〈その4〉大日如来さん、何かきれい!・・・・こんなにはっきりした印象の磨崖仏だったっけ?
よく考えたら・・・・前に来たのは、まだ我々夫婦がもっと若かった頃ですからね。まだ子供たちも小さい頃だし・・・・そうですよね。だって、子供じゃなく・・・・7人いる孫のうち、上の3人は社会人になってるし・・・・。
でも、平安時代後期の磨崖仏と言われている高さ約 8mの不動明王さん、高さ約 6.7mの大日如来さんが、昔と同じように迎えてくださいました。
最後の疑問〈その4〉は、後日、宇佐市にある「大分県歴史博物館」を訪れて納得できました。博物館に大日如来さんのレプリカが展示されていました。説明してくださった学芸員のお姉さんが「磨崖仏にしても、年々風化が進んでいます。このレプリカは、実際に大日如来像から型を取って復元したものです。遠い将来に、こんな像があったんだと伝えていくために作られています・・・・」と言われていました。大日如来さんは、型を取る時にきれいに掃除されたとのことでした。
なお、蛇足ですが・・・・歴史博物館には富貴大堂の内部も制作された当時の色を復元して再現されていました。きれいでした。
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